a0075956_21221427.jpg

先日、元伊勢「籠神社」と、
奥の宮「真名井神社」に行ったことで、
頭の中が整理されたので発表します~^^

この神社の神社紋は、現在は
「左三つ巴紋」に変更されていますが
もともとは籠目紋です。

竹で編まれた籠の編み目=籠目紋
=六芒星=ダビデの紋章。

絵馬には今でも籠目紋が描かれ、
三日月と太陽が描かれています。

月は月読、太陽は天照大神。

六芒星は、
能動的原理を表す正三角形(△)と、
受動的原理を表す逆三角形(▽)の
組み合わせ。

陰と陽、火と水、男性性と女性性、
顕在意識と潜在意識、創造と破壊…など、
対極のエネルギーの調和をあらわし、
土星、木星、金星、月、水星、火星、
中央が太陽に対応しています。

まさに今年のエネルギーを象徴^^

勾玉のようなカタチの「巴紋」には、
一つ巴、二つ巴、三つ巴とあり、
時計と同じ右回りのものを「右巴」、
左回りのものが「左巴」といい、
いずれも水の流れる様子や
森羅万象の動きを表しています。

その中で「左三つ巴紋」は、
神道やカバラ思想では、
シンボルは「鏡」に映るとされていて、
鏡像反転として「魂」や「太陽」を表し、
六芒星と同じ意味です。

「三つ巴紋」は、
ヨハネの黙示録でおなじみ
反キリストの“666”にも見えますが、
仏教では“666”は「弥勒」で
神聖な数字です。

右三つ巴紋を鏡に映すと…左三つ巴紋。

要するに、人間という生き物の
善悪の表裏一体を表していると思います。

「籠(かご)」という字は、
竹冠に龍(りゅう)と書きます。

「龍」は、川の水に泳ぐ蛇の姿が
神格化されたもので「龍=蛇」。

古い日本語では
蛇をカガと言っていたことから
蛇の身(カガミ)=鏡なので、
龍・蛇=鏡=龍神・蛇神=太陽神です。

さらに、地方によって歌詞も異なり、
さまざまな俗説や解釈がある「かごめ歌」。

♪か~ごめ かごめ 籠の中の鳥は
いついつ出やる 夜明けの晩に
鶴と亀が統べった 後ろの正面だあ~れ♪

夜明け前のまだ暗い晩に男女が統合し、
純真無垢な魂=新しい命の誕生を待つ
様子でもあり、新しい時代の到来直前に、
伊勢神宮のご神獣であり
夜明けの番人でもある「鶏」が鳴き、
陰と陽が統合すると六芒星ができ、
六芒星の中から「龍」が出てくる様子
でもあり、宇宙と人間の世界とを
同時に喩えています。

後ろの正面にいるのは…、
鏡に映った自分、真我、
真実の愛そのものの自分自身!

この歌をダビデの紋章にちなんで
ヘブライ語で翻訳すると…、

♪誰が守るのか?誰が守るのか?
安置されたモノを取り出せ
契約の箱に納められた
神譜をとってお守りを作った
未開の地に水を沢山引き 水を貯め
その地を統治せよ~♪

…となるそうで、
偶然にしては出来すぎ。。。

真名井神社は、“天の真名井の水”という
御神水が湧いたことによるそうですが、
“マナ”は、旧約聖書で出エジプト記の後、
モーセの一行の飢餓を救った食べ物。

マナの壺はユダヤの三種の神器の一つ。

日本でも「真魚(マナ)」は食べ物で
古代インドでは黄金の単位が“マナ”。

籠神社と真名井神社には、
神宝の壺という壺が密儀として
継承されているらしいです。

真名井神社の主祭神は、
豊受大神で五穀豊穣の神様。

別名、宇宙創造の神様である
天御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)
国常立尊(くにのとこたちのかみ)。

また、伏見稲荷大社の主祭神でもある
宇迦之大神(うかのおおかみ)でもあり、
以前書いた通り、ヤハウェ神です。

豊受大神=天之御中主神=国常立尊
=稲荷神=ヤハウェ…。

…で、あれこれ書きましたが結論^^;

万物すべてに精霊が宿る…という
神道での多神教も、
ユダヤ教やキリスト教などの
唯一絶対神という一神教も、
表現と解釈する人の違いはあれど、
同じだって話です~^^

光の使者が視せてくれる光景は、
世界中の神話に出てくる神々は、
人間や動植物と同じように
宇宙の大きな意識エネルギーから
同時に枝分かれして降り立っています。

現実というのは、自分が創り出す
幻想のパラレルワールドなので、
視た人や解釈した人のそれぞれの
フィルターを通して様々な姿カタチや
名前に感じるだけのこと~。

多神=唯一絶対神は、いずれも
宇宙森羅万象を構成している大きな
意識のエネルギーで
宇宙の完全超越調和エネルギーなので、
神様は怒ったり祟ったりしません。

神話に登場する神々が怒ったりするのは
人間社会を如実に表していて
人間として生きることの大切さを
教えてくれているから。

私たちが肉体という衣に宿って
喜怒哀楽の感情と思考を持って、
自分自身(自我)を生きているから。

亡くなった人というのは、
星になると言うように、
肉体を離れて自我が働かないせいか、
純粋な心を伝えてきます。

霊障や憑依というのは、
人間として生きている側の問題。

…で、真実の自分自身(真我)は
どこにいるのか?
どうすれば真我だと分かるのか?

分かりやすい喩えが見つかりました。

神社で「鏡」に向かって拝むように
鏡に映った自分自身=真我。
今さら~みたいな話ですが(爆)

鏡に映る自分は、他人から見た
左右反転の自分ではなく、前後反転。
自分の姿は鏡に映さなければ見れず、
鏡に映したところで前後反転し、
表裏が反転しているので、
鏡と同化しない限り重なりません。

だから、「鏡よ鏡、鏡さん」と
表の顔と裏の顔をチェック!

願いごとをする時も、鏡に向かって
既に叶った自分になって
宣言すると良いですよ~。

本当の願いか否かは、
鏡に映った自分が教えてくれます^^


お読みいただき、ありがとうございます。
by divine-msg | 2013-08-21 22:15 | スピリチュアル
<< 浦島太郎 変容直前 >>